五段を落としただけなのに

鳳来

あなたの全てを知っている存在。

それは家族でも恋人(※いない)でもなく

…..”白道”です

 

 

 

 

〜Introduction〜

普通の中堅・柴沼Jによるデビュー作『五段を落としただけなのに』(いちゃりばちょーでー)は、SNS時代を代表する完登として映画化のオファーが各社から皆無。読者からは「バカすぎる!」「もう岩場には行かない…」などの声が上がり、新城市川合の総人口を超えるボルダーが存在する現代において、その身近過ぎるテーマが早くも話題となっています。

あなたのホームジムは守られていますか?SNSで繋がっているクライマーは果たして本当の友達ですか?

全ての自粛クライマー必見、読んではいけないSNSクライマーここに誕生。

 

 

 

 

〜Story〜

鳳来の白道(小山田氏初登)にチョークをつけたJ(柴沼)は、エリアから聞こえてくる聞こえるはずのない誰かの声に言葉を失った。

たまたま思いついたムーヴで登れたというヴァチェラレットから、白道のムーヴが無事にバラせて安堵したJだったが、その日を境に不可解な出来事が起こるようになる。

身に覚えのないアカウントからの申請や、SNSで繋がっているだけのブラジル人からのガンバ。 落としたフォルダレーザから個人情報が流出したのか?

岩場の保全・安全管理・チッピング対策に取り組むJFAに加入させてもらい安心していたJだったが、ある晩、何者かにイニシエーションを乗っ取られ、誰も見たくなかった写真がSNSにアップされてしまう。

「違う!それJじゃない!
J、何もやってない!」

時を同じくして、人里離れた山の中で次々と若いクライマーの完登が見つかり、再登情報を担当する編集者は、クライマーが長いルーフの課題ばかりを狙っていたことに気が付く。

白道を落としたのは第何登だったのか。

連日五段完登のノムラシンイチはいったい人なのか。

そして明らかになる“奪われたJの秘密”とは?

ただ、五段を落としただけなのに……

#1

 

 

 

 

 

 

鳳来の白道(五段+)を登ることが出来た。

冬も過ぎ去り、湖畔のキャンプ場は桜の傘に覆われていた。春が来るとこの湖畔は桜が目一杯咲き乱れるんだ。水量の減りきった川を軽快に渡り、いつものように誰もいないルーフの下に荷をおろす。いつものようにサブマットを広げ、いつものようにaikoを流す。

この頃はずっとこの繰り返しだった。電波も入らない山奥でaikoだけが人との繋がりだった。aikoを流しながらサブマットの上でストレッチをする。ガバにぶら下がり、ルーフ上部の動きを確認する。程よく体も温まったころにちょうどaikoのプレイリストが一周する。

なんでこんなことを繰り返してるのか不思議に思ったこともある。車を走らせるのも片道数時間。交通費だってばかにならない。日中横文字ばかりのマニュアルと格闘し、牛歩の進みで組み立てたアナライズドデータは巧妙に隠れたバグによって振り出しに戻される。そうして稼いだ雀の涙ほどの給与も、新東名を走れば泡のように飛んでいく。

いざ白道をトライすれば岩は冷たく、指は悴み、次第に皮は破れ、流血する。すっぽ抜けた勢いでマット外に背中から叩きつけられたこともあった。少し間違えば大惨事だ。そうなれば助けを呼ぶことも出来ず、次のクライマーが来るまで見つけてもらうことも出来ず、寂しく最期を迎えるだろう。

それでも辞めるという選択肢はなかった。白道に狙いを定めてからは、ただただ登りたいという欲求に支配されていた。眠りに着くか着かないかシーツの中の瞬間はいつも白道の事考えていて、夢は夢で目が覚めればひどく悲しいものだった。核心は今日も止まらない。

こんなに好きなんです。仕方ないんです。戻れないんです。#2

そんな落ちるたびにため息吐いて三角の目をした羽根ある天使から「疲れてるんならやめればぁ?」と目配せされた日々も、遂に終わりが来た。

間違いなく白道は生涯最難のラインで、これ以上はない完登だった。一つのことを成し遂げた。誰にとって意味はなくとも自分にはあった。感無量だった。

 

 

 

 

 

少し昔を振り返りたい。こんなにも何かに執着して、そして成し遂げたことはないから。

この岩との出会いはもう10年以上前のことだ。初めて見たときはその威圧感に圧倒されるばかりだった。雑誌の中でしか見たことのないクライマーがバリエーション(四段+)をトライしていた。それはとても遠い世界の姿で、自分は名も無き初二段のラインを登ろうと頑張っていた。

象徴的だったのが、ルーフの中にポツンと白く窪んだポケットホールドだった。一本指で体を浮かすということがおよそ理解出来ないでいた。このとき白道は遠く霞んだ彼方にあるラインであり、自分がトライする姿は想像も出来なかった。

最初に思い立ったのはクライミング歴も5年ほどたった頃だ。気が向いたら鍛える、くらいのペースで一本指ホールドに体重をかけていた。そんなペースでも着実に腱は鍛え上げられ、いつしかぶらさがることが出来るようになり、そして体を引き上げられるようになった。

次第にヴァチェラレットを登れるんじゃないかという期待が湧いてきて、集中して鍛えることにした。最終的には一本指ホールドからウォールのキャンパスバー3本分離れたホールドを捉えられるようになっていた。この調子ならいける。秋が来るのが待ち遠しくなった。

そして、パキッてしまった。

7月のことだった。

ヴァチェラレットではなく、人工壁に設定した模擬課題でのことだった。あまりにも情けない結末だった。

怪我するまでの過程にも色々とあるが、どう言い訳を作っても結局は自分をコントロール出来なかっただけだ。何より、言い訳したところで誰に何を許してもらおうというのか。それでパキッた腱が戻るわけでもあるまいし。

そんなわけでテレビゲームと修士論文にのめりこむ月日が始まった。この後も指は治りきらず、治癒と悪化を繰り返してるうちに京都にいれる最後の貴重なシーズンを棒に振った。改めて振り返っても、生涯最悪の怪我だった。

そこからは白道ルーフのことなど考えていなかった。もう一度鍛え直そうかという考えもなかった。またパキッたら、そう思うと取り組む気にならなかった。いかなる状況でも自己を抑制出来ないのなら、一本指など鍛えてはいけないと考えていた。腱を鍛える行為は日々チキンレースを行うようなものだ。自分はまたそのうち一線を超えてしまうだろう。

次の転機は、社会人になり関東に出てきてから何をトライしようか友人と話していたときのことだ。

白道ルーフには白道だけではなく、バリエーションがある。一本指はダメだとしても、この岩のカッコよさは揺るがない。バリエーションを頑張ることにした。

このラインも色々な話を聞く。再登者は「海外で登ってきたV14と比べても遜色ないくらい難しい」とコメントしたとか、「このラインに取り組むと青春を失う」とか。

そのため気持ちの上では五段-(V14)を登るつもりで打ち込んだ。ムーヴがバラせてきた。明らかに難しい。自分もV14だと感じる。

卑しいもので、四段か五段かでモチベーションは変わってくる。これは意地でも登りきってV14とコメントしようと考えていた。こちらも無事、完登に至った。今では四/五段(V13/14)というグレーディングが提唱されている。スラッシュグレードは好きではないが妥当だと思う。V13かV14のどちらかに票を入れて良いのならV14に一票入れたい。そんなラインだった。

少し話が逸れてしまったが自分が白道に取り組む最後のきっかけをくれた人がいる。それがMishkaだ。

バリエーションをトライしていればどうしても白道のラインが目に入る。眺めているうちにもしかしたら何か違うムーヴがあるのではないかと思うこともあった。しかし気まぐれにムーヴを試すだけでは、得てしてうまくいかない。そもそもバリエーションを狙いに来てるのだからそこに注力することもない。凝り固まった自分は、一本指からは逃れられないのだと悟った気にもなっていた。

その固定観念を打ち破ってくれたのがMishkaだった。既成のイメージに捉われず、純粋にあらゆる可能性を追い求めていた。それもそのはずで彼女は当時12歳だった。白道が登られた頃など、彼女はまだ生まれてすらいない。

ある日、Mishkaから唐突に連絡が来た

「ヴァチェラレット登れたよ!」

衝撃的なメッセージだった。にわかには信じられない報告だった。

さらに後日、白道ルーフでmishkaに会うと、すでにバリエーションのパートもバラすことができており、白道をトライしているという。

時代の潮目を見た気がした。名のあるプロクライマーたちを退けてきたラインを、僅か12歳の女の子が登ろうとしている。

同時になんだか情けない気持ちにもなった。白道を落とそうとする女の子の横で、自分はバリエーションをトライしている。バリエーションだって世界に誇れるラインのはずなのに、何だか惨めだった。自分は持たざるものだったのだと痛感させられる。バリエーションという課題名もまた、虚しさを助長した。

しかし彼女の白道をトライする姿を見て、自分も思いつくムーヴ一つ一つを真剣に追求することにした。意識を切り替えるだけで、見逃していたホールドが浮かび上がってくるようだった。チョークをつけ、思いつくムーヴ一つ一つを丁寧に試していく。

そして、遂にヴァチェラレットのムーヴが完成した。

思いがけず白道への挑戦権を得た。この時はまだ第二登までしか出ていなかった。半分にも満たない年齢の女の子との第3登をかけたセッションがはじまった。

しかし、またしても大きなミスを犯す。

2018年の11月18日

『いい岩』の日。ミッキーマウスの誕生日。

この日再びパキッてしまう。

もう一つの生涯最難への挑戦「ハイドランジア」をトライしていた時のことだった。もうすぐ登れそうだと感じていたときのトライで、左手の薬指から爆竹が爆ぜたかのような音がした。ルーフの外まで音は響いた。気のせいだと嘯く余地すらないほどの音だった。

再び振り出しに戻された。

人生で2番目に悔やまれる怪我だった。

特にこのシーズンはハードなボルダリングに集中し、今まで打ち込んでいたラインに決着をつけようと決めたシーズンだった。

それが終わったらもう一度世界を旅しようと決めていた。そこに来てこの怪我だ。結局、このラインに決着をつけないまま日本を離れるのも悔しいので、日本滞在をもう一年延長することにした。人生計画が大きく変わった瞬間だった。

それからまた不貞腐れるようにゲームにのめり込み、時間だけを浪費していった。

春先には少しずつ指の調子も良くなってきたが、シーズン中にハードなラインを狙うには間に合わなかった。そうこうしているうちにMishkaが白道を登った。2019年の5月、平成の終わりを告げる出来事だった。

この時の心境は少し複雑なものだった。2つの感情が押し寄せた。そのうちの一つは嫉妬だった。劣等感とも言えたかもしれない。彼女の頑張りを間近で見てきたから、登れたと知ったときは感動を覚えた。完登の場に立ち会えたことは幸運だった。しかし、取り残された自分の情けなさが浮き彫りになった瞬間でもあった。

Mishkaの完登は心の弱さに気付かせてくれた。ライジングインパクトで言えばライザ(小6)の心境だった。同じ努力をしても1しか伸びないやつもいれば、10伸びるやつもいる。俺は完全にピエロだ。#5

夏も終わり、指の調子も戻ってきた。もう一度自分の限界と向き合うときが来た。秋には塩原でハイドランジアを打ち込んだ。残念ながら完登には至っていない。いよいよ心がへし折れそうだ。

冬に入ってからはシャンバラとの因縁に決着を付けることにした。正直、もっと早く登れると思っていた。予想よりも手こずった。結局数え切れないほど打ち込んだ末に、必死の完登をどうにか掴んだ。

この間にも白道ルーフに立ち寄ることはあったが、本格的なトライは出来ないままだった。

シャンバラを完登すると、今度は天気に悩まされた。天気予報が雨マークで埋まる中、一縷の望みを携えながら白道ルーフに赴いては、濡れた岩の前に満足のいくトライは出来なかった。aikoの曲がサブスクに公開されたのはこの頃だった。

時には友人と、時には一人で、チャンスがあればとにかく通い続けた。誰とも出会わない日もあった。しかし例え1人だろうと、白道とは決着をつけなくてはならない。aikoを流しながら黙々とトライを重ねた。

aikoと鳳来が相容れない世界線に存在することも知っていた。この違和感を受け入れられるのもまた大人になったからなのか。それとも、元号が変わっても人の心を掴んで離さないaikoの普遍性ゆえなのか。

平行線上に成立していた感性

冷戦過ぎて和解しだした関係

思えば時代の移ろいの中でトライを重ねていた。周りも自分もどんどん変わっていく。あの頃の幼気な少女は瞬く間に大人になっていった。自分も変わらないようでいて、少しずつ変わっていたのかもしれない。

2年前の自分なら岩場に1人でいてもaikoを流したりはしない。その違和感を無視できない。aikoの世界はあまりにも白道ルーフとかけ離れていて、およそ人の温もりを感じないこの岩場ではカブトムシの意味も変わってしまう。

aikoというファインダーを通せば雄々しい蟲の王でさえ少し背の高い彼に身を委ねる恋する乙女に変わる。カブトムシといえば雄だろう。カブトムシの絵を描いてみてと言われたとき、一体誰がメスのカブトムシを描くというのか。aikoだ。aikoの世界ならそれが出来る。しかし、鳳来ではこうはいかない。節々の膨れ上がった指をして壁にしがみつく様はもはや比喩ですらなく、クライマーの姿そのものでしかない。

トライしてる体が熱くて指先は凍えるほど冷たい。「どうした はやく登ってしまえ」そう言われても私は 弱い。#3

3月も中旬を過ぎた頃、ようやく文句のつけようのないコンディションが訪れた。しかし、それでも完登には至らない。バリエーションパートでは十中八九落ちることもないのに、繋げてくるとヴァチュラレットのスロットホールドが止まらない。

気づかぬうちに膝を痛めてしまい、1トライごとに膝を抱えるようになってしまった。

ここまできたら意地でも登ろうと決めた。完登するまで通い続ける気だった。

そんな中、新型コロナウィルスの流行が勢いを増してきた。自粛が呼び掛けられるようになり、周囲のクライマーも少しずつ岩場へ行くのを控え始める。

世間から見たら白道をトライしに行くことは、不要不急の用事だと思う。それは理解していた。自分を客観視しないと宣言してはいたが、クライミングは社会生活あってのことだ。誤解を受けることもあるが自分はプロクライマーではないし、そう名乗ったこともない。脱サラしてからクライミングを中心とした生活を続けているが、主たる収入はクライミングとはなんのゆかりもない一企業から得ている。クライミングは自分個人の人生の核となる行為であるが、社会貢献には役立っていない。

全ては自分の世界でのことだった。今を逃したら、次があるかどうかなんて分からない。

2020/04/05

核心のスロットカチを数回捉えるものの、完登することは出来なかった。この日ばかりはもう登れると思っていた。実質最後となるガバホールドを取るところで何度も落ちてしまい意気消沈した。

敗退を決めたとき、改めてガバ取りのムーヴを見直す。思い切ってムーヴを変える事にした。

4/7 緊急事態宣言が発動された。SNSでは岩場へ赴くこと、または登った事実を発信することに関する警告・議論が過熱している。

4/9 夜のうちに車を走らせる。朝6時には岩の前にいた。まだ陽も昇ったばかりで冷たく肌寒い空気が岩場に漂っている。晴れた日が続いたおかげで仄暗いルーフの内側にも、岩を覆う苔にも乾いた空気が行き渡っていた。もう厳しいシーズンかと思っていたが、朝一のトライは少し悴むくらいだった。コンディションは申し分ない。

1トライ目

体は驚くほど軽い。重力が消えたように感じる。一手一手のデッドにも不安を感じない。何百と繰り返した動きで、ブラインドホールドを捉えていく。核心のスロットカチ取りまで来た。登れる可能性を十分に感じていた。しかし、うまくヒットしなかった。何とか持ち直そうとするも、右手が外れてしまう。余力があっただけに悔しい。

2トライ目

今度はしっかりとスロットカチを捉えた。足を運び、ランジの姿勢に構える。距離も出た。しかし、ガバを的確にとらえられなかった。繋げによる疲労のせいで体が沈んでいたように思う。あまりにも悔しい。このトライを逃したことで、岩場に着いた時には抱いていた「今日こそは登れる」という確信が揺らぎはじめた。焦りが生まれる。

3トライ目

確かな無重力の中でスロットカチを捉えた。左手をアンダーに返す。指先の感覚もまだ残っている。前腕に多少の張りを感じるが余力は十分にある。これならいける。はやる気持ちを深い呼吸で抑えながら、広い視野の中で慎重に足を運んだ。ランジの体勢に移行したあとは、目の前のホールドに全神経を集中する。大きく息を吸い込んで、左手を出す。ルーフから勢いよく体が引き剥がされる。左手はしっかりとホールドを捉えていた。遂に止まった。

ここからは三級くらいのパートだが、絶対に落ちないとも限らない。力を込め過ぎた左手が固まっている。どうにか指を譲り、片手ずつシェイクする。呼吸を整えて最後のランジをこなす。リップのガバも無事捉えた。レストを挟みながら慎重に登り、終了点をマッチする。そこからは自己満足の世界だ。乾いた苔を踏みしめながら岩棚の上に立つ。

ようやく、登れた。

感極まりながら目の前の苔に体をうずめた。

長い戦いに決着がついた。

 

 

脇目も振らずに何かに熱中する姿も、友と談笑する姿も、もう何年家族に見せていないだろう。人知れず打ち込み、打ちのめされ、完登の見えない日々に弱気になった姿など恋人(※募集中)に見せたりは出来なかった。友と笑い合いながらセッションした日々も、独り自分と向き合った自分も、全てを知っているのは”白道”だけだった。

時代を置き去りにした17年前の初登。会社員による第2登。世界最年少記録を打ち立てた13歳の女の子による第4登。

そして噂だけが耳に届くレジェンド達の再登

10代が主役の座に台頭する現代クライミングにおいて、30歳を迎えた自分は果たして流行りの行列に並んだサクラの1人みたいなものかもしれない。白道の完登はこんなライフスタイルを続けてまで追い求めるようなことではなかったのかもしれない。今まで私がしてきたこと間違いじゃないとは言い切れない。

ケド

白道を登れたことで全て報われた気がするよ。降ってくる雨が迷惑でしかめっ面した私に、完登後の景色を見せてくれた。ありがとう、白道。#4

帰り道、鳳来湖に潜った琥珀の弓張り月、息切れすら覚える鼓動、苦し嬉し指の痛み。生涯忘れることはないでしょう。#3

 

憧れのラインを登れたこと、そして30という節目を迎えたことも相まって少し感慨にふけり過ぎた。冗長に、そして赤裸々に語り過ぎてしまった。

ただ、五段を落としただけなのに…..

 

 

参考

・「スマホを落としただけなのに」公式サイト . Introduction & Story

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#2. aiko 3rdシングル「花火」

#3. aiko 4thシングル「カブトムシ」

#4. aiko 5thシングル「桜の時」

#5. 「ライジングインパクト」集英社

最後に

ここまで読んでいただけた方がどれだけいるのか分かりませんが、白道の完登は沢山の方々のご協力・応援あってのことでした。鳳来の開拓に携わった方々、応援してくれた方々、一緒に岩場に来てくれたご友人、そしてこの駄文をここまで読んでいただけた方、本当にありがとうございました。この場を借りて感謝申し上げます。

そして、緊急事態宣言中にトライしたことはもしかしたらそのご厚意を裏切る行為だったのかもしれません。

最終的にはサポートクライマーとしての成果のためではなく一個人の満足のために登ったことです。こうしてブログに書き起こすことも、個人の満足のためでしかありません。そのため感謝の意を表すことは、一方的で厚かましい発言になるかもしれません。もし不快に感じられた方がいれば、あらかじめお詫び申し上げたいと思います。申し訳ございませんでした。

また、自粛が呼びかけられてからのトライ期間中は、食料は家の近所のスーパーで購入し、コンビニやサービスエリアも含め鳳来近辺の店には一切立ち寄っておりません。白道近辺の駐車場も人目に着く場所ではないので、近隣住民に不安を与えることもなかったとは思います。もちろん岩の前にいる間は自分の車の付近を人が歩いたかどうか把握できているわけではないので、誰かが近くを通った可能性は否定しきれないことではあります。

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