グレードというものについて

Juncyclopedia

愛読ブログ「バトルロッククライミング」でグレードについて語られていた。ドヤ顔で。

グレード感に個人差があることの考察 : バトル ロッククライミング(家トレはモチべが命)
昨年の夏のこと キングダムを登った時から何度かトライしていた御手洗のプロジェクトをトールがあっさりと完登し血路(3段)となった。 自分が登ったならきっと四段をつけていたと思うと、相変わらず彼のグレード感は辛めだと感じる。 なんとなく前から気づいていたが、

折角なのでこれに便乗して自分なりの「グレードとは何か」について考えを述べたいと思う。

こう言ったやや真面目な話について考えを述べるとき、自分は頭から否定されるのが好きではないので、今まで出来るだけ避けてきた。

しかしスペインにいる今、俺は無敵!戯言と一蹴されてもいい!とりあえず更新することが大事なんだ。というか岩場に行けなくてブログのネタもねえ!

そんなわけで生存報告という大義名分の元に書きましたが、色々考えてたら自分でもドン引きするレベルの長文になりました。

ご一読よろしくお願いします

最初に

これは自分なりのグレードの「捉え方」の問題でグレードとは「こうあるべきだ」なんて意味合いは全くありません。

ただグレードに関して曖昧なことが多い中で「自分はこのように捉えている」そして「自分が初登したラインに対するグレーディングはこの考え方に基づいて行っている」という話です。

また、外岩の課題に対するグレーディングに限定した話でもあります。後述しますが、外岩と人工壁とではグレードの役割が少し異なる(または、異なっていてもいい)と考えています。

この考え方は昔からあったことで、特にちゃんと考え出したのはククゼンを初登した頃です。この時ブログにシレッと「課題の正体は再登の積み重ねによって徐々に暴かれていくもの」「第十登でも百登でも意見していいと思っている」と書きました。約8年たった今、その真意をようやく公開する訳です。なんて長い伏線。

8年前のJ

グレーディングをする意義

そもそもグレードとは何か。お決まりの参考文献としては、やはりミキペディアさんの下記の記事などが参考になると思う。因みに記事中のグレードを語る上で超必読と書かれているロクスノ24号を自分は読んでいません。これもまた、グレードについて語ることを躊躇させていた要因の一つでもある。

ボルダリングのグレードの決定方法~前編:グレードの定義、前提となる考え~
2016年は1ヶ月に最低4本記事を書くという内なる目標を掲げたにも関わらず、これが3月1本目。やばい。 さて、今日の記事は主にボルダリングのグレードに関してです。岩で初登した際や、ジムで課題を作る時に、ほとんどの場合グレードを付けるという行

非常に緻密に考察がされており、一言で難易度と言っても「レッドポイントの難しさ」なのか「アテンプトにかかる難しさ」なのかで見方も変わってくる。さらに段級方式には「課題の格」まで考慮するといった意見もあり、こうなってくると難易度という言葉で一括りにしてよいのかさえ分からなくなってくる。

ここで、自分はグレードに関しては基本的にRPを達成するための難しさだと考えている。アテンプト数やムーブの複雑さは考慮しない。

ただ、そもそも何のためにグレードはあるのか?グレーディングする意義は何なのか?

この点について明確な答えがないために「じゃあこのケースはどうするの?」「課題の格は考えないの?」となった時にそれぞれが持論を持ち出し、結論もないまま話が終わっている気がする。(とはいえ一方で、明確な答えがないからこそグレード論議が移動中の車内コミュニケーションになったりもしていて、この「曖昧さ」が逆にいいとも感じている。)

しかしこの記事においてはしっかりと意義についても言及しておきたい。まずグレードが役立っている場面は多々ある。クライミングを生業としている人や団体(非営利含む)においては

●プロクライマーの成果報告・PR
●(御前岩など)岩場利用可否の基準の一つ
●コンペのカテゴリー分け

などがある。また、そうでない人でも次のようなときにグレードを参考にしたりする
●遠征ツアーで打ち込む課題を事前に選ぶとき
●ハイボルダーなどのリスキーな課題に取り組むとき
●コンペのカテゴリーの選択

グレードのおかげでメーカーはスポンサードするかどうかの判断基準の一つを得られるし、ニュースを見たときにその成果が分かりやすくなり感動も出来るわけである。激甘な11代を数本登ったクライマーが御前岩に溢れることは事故のリスクを大きくしてしまう。グレードが曖昧過ぎるとクライミング界にとって損失が起きる。

これを踏まえて自分の考えは次のようになる。グレーディングの意義は

”(少なくとも自分は)曖昧でよくわからない”
”しかし、何かしらの存在意義はありそう”
”その意義もケースバイケースかもしれない”

そしてそれは正確に知ることが出来た方がよいものと考えている。

戦う敵のレベルは知る術がない

グレードはRPを達成するための難しさと表現したが、そこに含まれる要素などを説明する前に自分の持つイメージを紹介したい。

これは完全にゲーム脳から生まれた考え方なのだが、グレードとはゲームで言うところの現れた敵モンスターのレベルのようなものだと捉えている。

ゲームにおいて敵のレベルというのは設定されている。ゲームによっては敵のレベルは表示されているが、例えばボス戦などでは敵のレベルは分からなかったりする。

そして敵のレベルを知ろうとするとき、倒した時の感覚で推測するしかない。

この特徴を言い換えるならそれは

誰も本当の数字を知ることは出来ない”が”確かにある”、そして”最初から備わっている”もの

となる。

もちろん数字は相対的なものである。1グレードの幅なども任意に決めている。これは”体積”のようなもので、1cm3の体積は人間側が定義しているが、何cm3にしろ何㍑にしろその物体には固有の体積がある。それと同じで、難易度というものもしっかり存在すると考える。そしてそれは本来、数値化しようと思った時には連続的な値をとる。また体積における縦・横・高さのように複数の要素から決まる。

(後述するが難易度の値は一意に決まらないケースもある)

そしてこの要素が問題である。個人的には「精神力」はそこまでなくてよいと考えている。主に「技能」と「力」の2つから構成される。これも後述するが、大事な点は出来るだけ経験値の積み重ねに相関を持っていて欲しいものである、ということ。

まずは、どうやってその数値を測るのか。

グレードはどう決めるべきか

ミキペディアさんの言う「●●を三級。◆◆を二級として、順に・・・」なのか「クライマー全体の★★%を三級とするか」という数値の割り振り方の話ではなく、原則として初登者が決めるべきかどうか、再登者の意見の総意で決めるかという話である。

これに関して、結論より先に述べておきたいことがある。それは「初登者に敬意を示すこと」と「正確にグレーディングすること」は切り離して考えたい、ということである。

初登者は新しい目標を生み出してくれた。何の情報もないところから自然の岩にラインを見出し(言わばモンスターを討伐し)、その成果を公表し、それによって後続のクライマーがその目標に出会えるようになる。それがいかにありがたいことか。この時、グレードだって述べなくてもいいはずだ(当人が成果報告・PRとして活用しだすとまた少し話が変わるが、一旦このケースは考えない)。

ゲームで言えば新しいクエストを生み出してくれたわけで、おかげで後続のプレイヤーは楽しめるわけである。そこにさらに相手のレベルという情報も教えてくれる。この体感レベルが実態とズレていたからといって、非難するのは失礼だと思っている。

・初登した栄誉を讃える
・後続のクライマーに公開してくれたことに感謝する
・グレーディングしてくれているだけでありがたい

自分は初登者にこの敬意を示した上で、改めて前項で述べた考えを繰り返したい。

グレーディングは倒した時の体感で相手のレベルを語るだけであり、レベルとは本来その岩に既に備わっているものということである。

前項で”誰も本当の数字を知ることは出来ない”とした。そして出来るだけ正確に知りたいと考えている。

となればやはり「初登者への敬意」とは切り離して考えるべきだ。相手のレベルを求めるわけだから、より真値に近づくにはあらゆる人の体感から推測した方がいい。言い換えればサンプル数は多い方がいい。

これが過去のブログで「課題の正体は再登の積み重ねによって徐々に暴かれていくもの」「第二登や三登だけでなく十登、百登でも意見をしていい」と述べた理由である。

さらに言えば初登者の体感グレードはサンプル値としての信用度が低い。情報がゼロのところから試行錯誤しながら倒したのだから、その後に続くクライマーと比較してかかる苦労が全く違う。まさにコロンブスの卵で、より難しく感じてしまう。

新しいムーヴの発見について

ムーヴの発見によってグレードは変わっていくのか、という話がある。これはある種、SNSや動画投稿が当たり前になったという時代の変化に影響も受けている気がする。昔はムーヴの難解さもグレードに影響を及ぼしていた節がある。しかし「解読」にかかる労力やスキルは省かれていった。

また、ムーヴではなく、よくあるホールドの変化(欠損・出現)については前述の例えからも難易度が変化するので、当然グレードも変わるものだと考えている。

グレードは変わるのか

まずムーヴの発見で「グレードは変わる」と考えている。

戦っているうちに、効率的な倒し方を見つけたとする。ずっとLV70だと思ってた敵が、実はこの技を使えば、このタイミングで戦えば簡単に倒せたとなればやっぱりLV60の可能性が高い。

重複するがグレードは本来相手に備わっているステータスなので、新しい情報が得られたなら修正すべき、というのが自分の考えである。 

湯河原の鴛鴦なんかも今は三段と言われている。再登者から直接「飛ばしたら簡単だったよ」と言われた。しかもそんなにリーチに依存するわけでもないらしい。

それはそれで構わない。むしろ「すぐ登れた」「簡単だった」「いいムーヴがあった」という意見が沢山あるのに、ずっと四段のままはおかしいと思う。

自分は初登者になれたことが誇らしいし、名付け親になれたことが嬉しい。登った時の体感は素直に四段だった。あと俺は飛ばしで止められなかった。

余談① 新ムーヴによりグレードダウンしたがそのムーブが出来ない時

ここで残念ながら、自爆する結論が一つ生まれる。メタフォース(5.14b/c)だ。ニーバーのムーヴが見つかってからグレードダウンしたらしい。

しかし自分にニーバーの動きは合わなかった。そしてこれはリーチではなく柔軟性という、(一般的には)努力でどうにかできる要素であるため、言い訳が立たない。

ひとまず持論に基づくなら、題目に対する結論は”ダウングレード後のグレードで語るべき”となる。メタフォースは14b/cだ。

結局自分は14cを登ったと言いたかっただけ。承認欲求の塊。都合の悪い時には持論を後ろ手に隠す卑しい男。これだけ長々と語っておいてまさかのブーメランである。やっぱりグレーディングは初登者が決めるべきか…

とかいう結論に向かってしまいそうになるが、実は大きな問題ではない。

まずこの持論自体が思いつきなので、自分のメタフォース完登に関する成果報告の際にそこに捉われる義務はない。

そしてそもそも、生涯目標ルートに挑戦するためのステップとして14cを目標にしていた。

言い換えれば”クライマーとしてレベル14cになる”ことが目標であり”レベル14cの岩を登る”ことが目標ではなかった。ここで14b/cのムーヴで登れてしまっていては自信をつけることが出来ず、逆に生涯目標に向けてのステップとして不適切である。

”その戦い方の場合には実質14cのレベルに達していないと倒せない敵”を倒したのだから、自分としては満足。何より14b/cでも14cでもメタフォースは登りたかった。なので気にせずにいきます。

とはいえサポートクライマーとしてはズルですね。改めてあくまで持論ということにさせてください。

特殊系・リーチ課題・一手物のグレードについて

この項目はただの例え話になるのだが、一般的にグレーディングが難しいと言われる課題たちについて、何故そうなるのかを考えたい。そして最後に、それらの表現の仕方に対する個人の好みも述べる。

まずグレーディングしやすい課題というのは、ポケモンで例えれば弱点の少ないノーマルタイプみたいなもので、クライマー側がどんなタイプでも一定の負荷を感じるものになる(格闘タイプには弱いが)。こういった課題はグレーディングの意見にズレも少なく、真値に近い値を捉えやすいのではないか。

仮に統計を取るとこんな感じだとする。

横軸がグレード、縦軸がサンプル数。中心が推定されるグレード。

真値は不明だが、結局は推定グレードがその岩のグレードとして認識される。

ノーマルタイプは分布のばらつきが少ない。

特殊系

タイプの相性によって感覚が大きく変わるものが特殊系。例えばLv50の相手がいたとして、Lv20でもタイプが合えば勝てるが、タイプが合わないとLv80でも勝てない。こういった課題は統計を取ったときにとにかくバラつく。

しかし、それでも真値を求めようと思ったらやはり平均値を取るしかない。

また、そもそも「特殊系って何?」という話もある。グレーディングのバラつきで語ったが、一体なぜバラつくのか。

これはグレードの要素がパワーに寄ってるからな気もする。

おそらくグレードには経験値の積み重ねに相関を持っていて欲しいという願望がある。冒頭で自分もそのように定義した。そしてトレーニングの積み重ねで手に入る(ように思える)もので分かりやすいのがパワーだからだ。

対して、バランス感覚・その課題固有の特殊なムーヴ・極端な柔軟性などで登れる課題は「経験が浅くても登れる」「経験が多くても登れない」という事態を招く。

また、漫然と登っていても強くならず、意識しないと中々鍛えるのが難しい一本指課題やピタッとハマればバチ効きするナックルジャム課題なども同じような事態を招く。

結果としてランペイジ、親指君、クライマー返しなどトライする人で大きく体感グレードが異なる課題が存在する。

そしてスラブはパワーがいらないということでグレーディングが辛くなりがちな気がする。

個人的にはもう少しその辺りの要素のインパクトは強くして欲しい。頭痛とかホンマに登れる気がしない。

一手物

これはドラクエで言うとはぐれメタルのような感じ。

ある一定の力がないとダメージが伝わらず一生倒せない。たたかった時の手ごたえはレベル1でもレベル30でも同じ「攻撃がきかない」となってしまう。一方で十分に強いと一撃で倒せてしまう。労力で言えば初期のスライムと同じになる。この時、はぐれメタルのレベルは測れるか?

一番実力を測れるのはやはり程々にダメージを与えられるプレイヤーである。

そして、メチャクチャ強い人が初登した一手物は大体辛くなる。

残念なことに、一手ものを登って得られる経験値ははぐれメタルのように多くはない。

リーチ課題

これはよく話題になる。ここではリーチ課題をさらにムーヴは変わらないものとムーヴが変わるものとで分けて考える。前者は例えばキャッスルヒルの課題のようなもので、後者はBishopのSpectreや瓢のイコンのような課題になる。

まず最初に努力でどうにも出来ない要素をグレーディングに組みこむかということが問題だ。

自分はこれをグレードとは切り離して考えたいと思っている。理由は最初の定義の通り、経験値と相関がないからだ。ゲームの例えで言うならば、これはレベルではなく特性である。ポケモンで言えばタイプ。しかもリーチは戦いへの影響の仕方が極端なもので、地面タイプに電気は一切効きません、くらいの影響力を持つ。

これはある程度指が細くないと保持れないクラック課題などでも言えるかもしれない。

そしてグレードと切り離して考えたとき、前者のムーヴは変わらないものに関してはほとんど特殊系と同じ括りになる。リーチによって分布が散らばってしまっているだけである。強いて言うならどこかに不可能に切り替わるリーチの基準が存在するので、その瀬戸際の人からすれば体感の難易度は極大化する。

そして後者についてだが、こういうケースはそもそも分布図のピークが二つ生まれることになる。これは両者で違う動きをしてるのだから当然の結果である(違う動きでも近い値を取る課題はもちろんある)。図にするとこんな感じ。(雑ですいません)

イコンに例えれば、左の山が「飛ばしムーヴで登った人の体感」右が「レールに沿って登った人の体感」になる。(実際は高難度の方がサンプル数が少なくなるが、分かりやすさのためにこうしました)

冒頭で難易度は”存在する”としたが、決して真値を知ることは出来ない。

そして二箇所にピークを持つような分布図をどのように解釈すべきか。

このとき「平均値を取って1つに決める」のか、ムーヴAなら二段でBなら四段と言ったように「限定課題にして2分するか」の2つがあると思う。

これは「グレードの意義」に由来すると思う。”限定は美しくない”という美徳が優先されるなら一意に決めればいいが、どのくらい難しい課題を登ったのかを明確にしたいのであれば限定して2分した方が数値の捉え方として適切な気がする。もちろんグレードに大した意義もないのなら、あとは好みの問題である。

余談② リーチが足らないのは弱いだけ?

例えば、(おそらく)レベル50まで鍛えたピカチュウでレベル10(と言われている)イワークに負けたとき、「なんなんこのゲーム?」「電気タイプで勝てるわけないやん」と愚痴をこぼしたくなる気持ちもわかる。ゲームバランスおかしくない?と文句も言いたくなる。

そこで「お前が弱いだけだよ」と言われたら反感を買う。多分買う。喧嘩になる。例えレベル80のライチュウがそのイワークを倒したという情報を得たとして「ほら、結局強ければ登れるんだよ」も多分違う。ゲームバランスの悪さに対する回答としてズレてる。

もちろん逆の立場で、自分がゲームを楽しんでいる横で大量に愚痴をこぼされたり、しまいにはクソゲー呼ばわりされたらそれもまた気分は悪い。やっぱり喧嘩になる。「じゃあやんな!」ってなる。

「気持ちは分かるけど、残念ながらこういうゲームなんよな。一旦レベルは気にせんとこ。クエスト自体は面白いやろ?」と言いたい。ちなみに愚痴を言いながらも何だかんだ一緒にゲームしてくれる有村架純ならむしろ歓迎する。

海外のトポ

上記のケースに関する個人的な好みの話。

まずブローinfoのようにオンライン上で情報が集まるパターンとトポのように売り切りの場合がある。

ブローinfoのようなサイトはやはり便利で、情報を細かく見れば体感グレードのばらつきも見えてくる。けど書籍の場合はそうはいかない。

海外のトポを見ると「リーチ系」「カチ系」など課題のタイプが図式化されていることがよくある。そして課題ごとにコメントが記載されている。このように課題の「特性」も記載してある方が個人的にはいいのではないかと思う。グレードだけ記載しているものは、モンスターのレベルしか知らされていないのと同じで、タイプが合うかどうかわからない。敵のタイプに関する情報も載せておく。「課題の格」についてはグレードじゃなくて☆の数で表す。

そしてイコンのような課題は稀なので、ベースを初登時のグレードに合わせた上でコメント欄に”飛ばしなら二段と言われている”と書いてしまう。

こういう作りの方が、限られたツアーの中で分厚いトポを見ながらどれをトライするか決めるときにもありがたい。

※もちろんこれも「トポはこうするべきだ」という話ではなくただの願望です。情報があり過ぎた場合「もはや攻略本じゃん!それじゃつまらないよ!」という意見もあるだろうし、そもそもトポを作る労力が大変なわけで、作っていただいてるだけで本当にありがたいです。

クライマーのレベルと人工壁のグレード

もしここまで読んでいただけたのならお気づきと思うが、ゲームであればもちろん「敵のレベル」だけでなく「プレイヤーのレベル」も存在する。本項ではこの「プレイヤーのレベル」についてお話する。

グレードディングの難しいところは「クライマー(プレイヤー)のレベル」ではなく「岩(モンスター)のレベル)」について議論していることである。段級位制をとっているためにどっちのことを言ってるのかややこしい印象を受けるが、あくまで相手の難易度を推測している。

だがそれだけではなく、物差しとなるクライマー側のレベルや特性もばらついているという問題がある。それぞれが持っている物差しまで歪んでいるのである。

こうなってしまっては真値を探ることが非常に難しい。バラバラの計測器で測った数値を沢山出して、推測する。

しかし、現状それ以外にない。

そして人工壁のグレーディングについて冒頭で外岩とは意味合いが異なってもいいと答えが、それについても触れておく。まず述べたいのが、人工壁に関して言えば課題側ではなく「プレイヤー側のレベル」の方が大事だと考えている。

さらに言えば、人工壁においては「◆◆段は全体の●●%のクライマー」という考え方でもいいと思っている。

まず、岩場と人工壁のグレード差についてはおいておく。これはよくわからない。そしてジム毎にグレードがバラバラなことは既知とする。これは別にいいと思っている。どんなグレーディングをしようが強制力があるわけではないし、ちゃんと段階を踏めていればそのグレードが通っている人たちの目標になる。その世界の中で完結していればいいと思っている。

しかし人工壁では「コンペの参加基準」や「エリア利用可否判断」などに利用されることがある。

これは確かに激甘・激辛なジムのせいでややこしくなっている気もする。それでも一方的に非難するだけでなく、管理側が「~~の定めたグレードに基づいて」と記載するなど、少しでも基準を正確にする必要もあると考えている。

それこそ見方によっては「うちは初心者層に合わせた上で楽しんでもらうことを前提に真剣にグレーディングをしたのに、いきなり別のジムの大会参加基準の元にされて『迷惑だ!ふざけるな!段級グレードへの冒涜だ!』と怒られるのもおかしいじゃないか」と言い返すことだって出来る。

通ってくれているお客様に「ジム毎にグレード感は異なる」ということをしっかり伝えるなど、ケアが大事だと思っている。

本題はもう一つの方だ。

人工壁においてグレードを元に何かをするときは、プレイヤー側のレベルの方が重要になる。

例えばコンペのカテゴリー基準にグレードが使われる。だけどコンペでは主催者側が一方的に用意した色んなタイプの課題を登ってもらう訳だから、気持ちよく平等に楽しんでもらうためには「今までに倒したモンスターの最高レベル」よりも「プレイヤー自身のレベル」に合わせた方がバランスが良くなる。

そして、それぞれの定員数に応じて満遍なく応募して欲しいとなれば、「クライマー全体の何%がオープンクラス」といったように、グレードと人口に相関がある方が運営も助かるわけである。

岩場で四段を登っているクライマーがミドルクラスで出場すると「グレード詐欺」と叩かれることがある。しかし、過去にたまたま相性抜群で自分よりはるかにレベルの高い四段の敵を1体倒しただけであり、プレイヤーとしてのレベルが(人工壁の)1級だとしたら、出場するクラスとしては本来妥当なはず。実際に詐欺まがいに強くて周囲を興ざめさせてしまう人もいるかもしれないが、そうでないクライマーだってきっと沢山いる。

「岩場のあの四段を登りたい」「でも登ったら、もう自分にあったカテゴリーでコンペに出れない」というジレンマの方が不毛な気がするし、少し可哀そうにさえ感じる。それでコンペを楽しむ人が減ったら業界的にも損失なのではいか。

それとも「四段を登るっていうのはそういうことだよ?」「一個でも登ったら今後ずっとそのカテゴリーに出場するか、もしくはグレード詐欺と叩かれるかの2択だよ?」としてしまうのか。

ちなみに「クライマー側のレベルを探る」ということにおいて、ボルダリング検定のように総合的な能力から評価するという取り組みは有効に感じる。がしかし、気軽に出たいコンペに検定資格まで要求されたらお金的にも手間的にも面倒なので、現実問題としてなかなか難しいのだろう。

ハイボルダーのグレード メンタル的要素は含むべきか

ハイボールのグレードについても考えを述べたい。

これも先に結論を述べるとメンタル要素は含まなくていいが、グレードの意義・役割によっては考慮してよい、と考えている。

まず一つ目の結論の根拠については、シンプルに安全を確保することに対しては制限がないためである。極端な話、下地に沿ってマットを重ねまくって常に1mしか落下しないようにした上でレッドポイントをしても、完登したことに変わりはない。

これは「ムーヴの難解さ」にも同じことが言える。今のボルダリングのルールにおいて「危険度」と「難解さ」は道具を使っていくらでも減らすことが出来る。それを岩の難易度と結びつけることは個人的には不自然に感じるからだ。

ただここでグレードの持つ意義として「安全にトライ出来る技能があるかどうかの指標」というものがあるのなら別である。エリアの管理者が「出来るだけ事故は起きて欲しくない」「ギリギリの実力なら挑戦しないで欲しい」となった場合には「RPできる実力」ではなく「安心して登れる」レベルに合わせてグレーディングすることは何ら間違っていないと思う。むしろそうした方が大きな怪我も起きなくていい。

個人的な好みとしては、海外トポのようにゴーストやドクロマークを付けるくらいがいい。

もちろん、山のようなマットを敷いたりすることは稀で、結局のところハイボールはレベルに見合わない難易度となっている。自分はこれをポケモンならば伝説のポケモン、ドラクエなら魔王系モンスターのポジションにあると思っている。例え同じレベルでも周囲のモンスターとは別物というわけだ。

ディペンデンスはもはやゾーマに匹敵する。

クライミングはグレードじゃない?

この言葉もよく聞く。そして大体スタイルの話になる。スタイルの個人的見解にまで話を広げるとさらに莫大な文字数になるので、今回は控えておき、ここでは次の2つについて述べたい。

モンスターのレベルとクエストの難易度は別物

ここまでの例え話で言うなら、ボスを倒すレベルとクエスト全体の難易度は別物ということになる。クライミングは地球をオープンフィールドとしたオンラインゲームであり、各プレイヤーはスタート地点がバラバラにある。

魅力的なボス・魅力的なクエスト・クエスト全体の難易度、それらはボスのレベルだけでは評価できない。

そしてスタイルは「新しい装備を使わない」とか「パーティを組まない」といった、プレイスタイルの方になる。

余談③ 通なプレイヤーの意見と初心者の感覚

「クライミングはグレードじゃないよ」「そんなのに囚われているうちはまだまだ」のような発言もよくある。けどこれは通なベテラン勢の意見で、初心者の感情をないがしろにしていると思う。RPGを全くやったことない人が頑張ってレベル上げようとしてるのに、最初の草むらの敵にボコボコにされていたら理不尽に感じると思う。

「残念ながらこのゲームたまにそういうとこあるんよな。でも続けてるうちに気にならなくなるから。むしろ楽しくなるから。ここで辞めるのもったいないって!」と言いたい。

道具の進化とニーパッドについて

「敵のレベルを知る術はない」「クライマー側のレベル・特性も様々」と、これまでグレーディングのややこしさを述べてきたがさらにややこしくするのが道具だ。

余談④ 100mトラックの進化

ここで少し、たまたま見たドキュメンタリーの話しをしたい。

100mのトラック改良の話だ。100m走で10秒は既に切られているが、そこには人間自身の進化の他にトラックの進化も関係していたことをご存じだろうか。

早く走るためにはトラックの硬さが大事になってくるらしい。しかし陸上トラックは水はけが良くないといけない。水はけの良さと硬さは基本的にトレードオフの関係にあり、どちらかを優先するとどちらかが悪くなる。「オリンピック開催基準を満たした上で出来るだけ固くする」、このために様々な素材が試された。しかしそれでも理想の固さに至らなかったため、別の視点からアプローチすることにした。

最新のトラックは微妙に傾いているらしい。素材だけではなく、角度をつけて水はけを良くしたとのことだ。

トレーニング方法・シューズ・走り方の研究以外にも、こんなところまで追求されているのかと感心した。

そしてこの時、100m走とはあくまで「人間の地面を蹴るエネルギーにのみ頼った上で、どれだけ速く走れるか」を追求するスポーツなのだと感じた。

現代の装備をズルとするのではなく、その上でさらに限界を押し上げようとしているのだと。(※個人的な解釈です)

クライミング道具の進化

仮にフリークライミングにおいて「人工物による推進力を得ず」「岩を傷つけない」で登るというのがこのゲームのルールだとする。

個人的には道具の進化は享受してしまえばいいと考えている。昔のラインを昔の装備で登ることで追体験する、というのは確かにある。しかしそれは一つの遊び方だ。「強くてニューゲーム」とかに近い。

道具が進化したのなら、より難しいクエストに挑戦すればいい。

しかもクライミング道具だけの話ではない。海外ツアーだって20年前に比べたら値段は安く、オンラインで購入出来て、SIMカードも安く使える。ネットトポに動画サイト・SNSも充実している。言葉が通じなくてもGoogle翻訳である程度コミュニケーションが取れる。クライマーの人口が増えたことでパートナーだって見つかりやすくなった。

ここで「三段登ってチヤホヤされるなんていい時代だな」なんて捉え方をしている人は、そもそもその人の性格の問題であって「じゃあ昔の課題は全部辛くしよう」なんてしなくていい。(してもいいけど)

「あの時代の人たちはこの装備でこれを登ったんだ!」という感動と尊敬の念を持って、「今の時代にいる自分たちはさらに厳しい岩を攻めよう!」という気概があればいいのではないかと思う。(なくてもいいけど)

というのが自分の考え方でもあるのだが、難しいのは道具の影響を受ける課題とそうでない課題があるという点だ。道具の発達に伴い、特定の課題だけが易しくなるため、シンプルでごまかしの効かない課題ほど辛くなってしまう。

言い換えれば、ゲームバランスが狂ってしまう。例えばスライム系とドラゴン系では同じレベルでも強さが違う。それもまたゲームの作りとして楽しむか。レベル30の敵にはレベル30が妥当であるべきと考えるか。この点に関しては好みの問題と思っている。

ただここで、実は既にそうなっている、という点にも触れておきたい。

よくクラシック課題は辛い、と聞く。トヨタの蛇の目と文明開化では体感グレードが異なる人が殆どだろう。

これだって人工壁の普及がそうさせたわけだ。(さらにはプレイヤーの層が変わった、というのもある)

昔は垂壁がメインであって、強傾斜のジムらしい動きは少なかった。しかしジムが増え、さらに若年齢化が進んだことでグレード感が変わり、クラシックは辛いよね、なんて言われるようになった。

・靴が進化したためにスラブが易しい
・チョークが進化したためにスローパー課題が易しい
・影響を受けなかった真っ向系カチ課題は辛い

という世界でもいいのかもしれない。

ニーパッドなどの新しい道具について

ニーパッド、ジャミンググローブなどの新しい道具について

これに関しては単なる道具の進化で括っていいのか難しい。

感覚的に言えば新しいシューズやチョークを使うことは、従来の装備をより強力なものに切り替えることに相当する。だからクライマー側のレベルが上がってなくても強い敵を倒せてしまったりする。だけど従来のルールから逸れていないから、”敵のレベル”について議論する場合には気にならない。

しかしニーパッドなどのアイテムは、言ってしまえばゲームのアップデートに伴っていきなり全く新しいアクセサリ要素が実装されたようなもの。ソシャゲでよくあるやつ。

“この実装ありき”で古い敵のレベルを語るかどうかは、もはや1プレイヤーが語るスケールじゃない気がする。運営側の意見もないまま「当時がどうであれ、ルールに背いてないんだから、これありきでしょ!」「この課題は沢山登られてて、このグレードで認知されてるんでしょ?」と言ってしまっては、議論がメチャクチャになる。

個人的には「自分がどのくらいのレベルのクライマーなのか」を追求・表現するのであれば、全く新しいアクセサリの実装を使って昔のルートを登っても、それはやはりズレていると思う。完登した事実を「成果」として周囲に報告するのなら、やはり道具の使用に関しては言及した方がスッキリする。

けど結局、昔はなかった靴やチョークの装備品はどうなのか?という話にもなる。靴もチョークも同じ枠で括ろうと、当時なかったものには変わりないのだから。

そして「ただこの岩を登りたい」というだけであれば、もはや本人の自由であって他者がとやかく言うことではないと思う。大元のルールには背いてないだろうし。

その他

ここでは分類できなかったことについて、まとめて触れておく。

難しいグレードを登ったと言いたい気持ち

再登者の意見を集めて平均値を取る、といったグレーディングをしたときに一番やっかいなものがこれだ。“強い相手を倒した”というステータスが欲しいわけだから、実態よりも過大評価された敵(=お買い得課題)を倒しつつも、実際には甘いと言及しないということはよくある。

これを見逃すと、信用度の低いサンプルが紛れ込むことになる。

グレードというものが正確に知れた方が良いなら、やはりグレードに対しては正直になるべきだ。

しかし既に述べたように、プレイヤー側のレベルだって曖昧である。しかも殆どのプレイヤーが”個人の楽しみ”のために登っているわけで、そこに来て「真摯になりなさい」というのも無茶な話である。

もしさらに正確にグレードを考察するのなら、そこにもフィルターをかけるべきだろう。どうやるかは難しいが。

仮に実行するなら、ブローinfoのようにデータをひたすら収集するベースがあって、そこからエリア管理者が「実際に登りに来ている人の生の声」を参考にしつつ「怪しい体感グレードコメント」を人為的に除外した上で、グレーディングするという感じだろうか。

サンプル特性

道具の進化に関する項目でクラシック課題が辛いという話をした。

これに関して自分は「人工壁の普及」だけでなく、「年齢層」の違いも多少はあると思っている。

真値はあるが推測値でしか見ることが出来ないとした。しかしこれは街角アンケート調査と同じで、サンプル側のステータスが大幅に変わってしまったら、結果も変わるわけである。40代男性がメインターゲットだったのに20代の男女の回答数が増えてしまった。となれば結果も変わる。

今や20・30代の男性が回答者の大半を占めるわけなので、そこから外れてしまうと世間一般で言われているグレードと体感に差が生まれてしまう。

エリア毎のグレード差

エリア毎に違うことがある。これはもう何なのか。湯河原と楯が崎は3グレードくらい違う。これはゲームで言ったらもう違うソフトだと言っていい。

エリアごとの閉鎖された世界で物事を考えれば、ジムのグレード差と同じように考えられる。

しかし時に、全国や世界に報告するに値するグレードにおいて、それはそのままでいいのか?という疑問は残る。プロクライマー達の成果報告という観点からしたら不平等だ。

とはいえその世界の人たちは「通なプレイヤー」だけで構成されているので、もはや問題視されていない、という見方もある。さらにエリアのグレード感と全国標準のグレード感も把握しているプレイヤーがほとんどなので、調整もなされている気がする。

スラッシュグレードについて

完全に好みの話

少しだけ意見を調整したい。レベル一個一個がグレードに対応するのではなく、実際はLV60-70の間が四段、といったようにグレードは幅を持っているイメージ。これはバトルロックライミングの「四段を1~100にする」という話にもあるように、一つのグレードの中に幅はあって当然という考え方だ。

このとき、その境界線で丁度意見が割れるものにスラッシュグレードがつくのだと思う。

けど、正直やめてほしい。

最近ではマルガレフの動画をYouTubeで見ていて、この9a面白そう!と思ったものが最新トポで悉く8c+/9aになっている。正直、ちょっと萎える。いっそ8C+でいい。

限界グレードを追うときはやはりスッキリしていて欲しい。グレード更新を狙うわけじゃなければ気にならないんだが。

自分がグレードに言及しない理由

最後に今まで自分がグレードに深く言及しなかった理由を述べたい。理由というか言い訳というか。

これは「プロじゃないから」とか「片手懸垂師だから」とか、立場を理由に避けていたわけでもなければ、「グレードに拘ってないから」なんていうすました理由でもない。

今までの例え話で言えば、サンプル数は多い方がいいのだからグレードの真値を追求するためには自分も積極的に発言すべきだ。

しかし、この例え話にのっかるのなら自分が発言しない1番の理由は” そもそも自分のステータスが歪んでいるから”である。

ステータスをフィジカルに全振りしているので、フィジカルは五段クラスであっても、柔軟性などはディビジョン4の男だからである。最も歪んだ物差しという自負がある。

自分にとって片手懸垂を3回することはトヨタのダイヤモンドスラブを登るより遥かに簡単であり、鳩のポーズを取ることはハイドラを登るより困難なのである。

鳩のポーズ

笠置の親指君(初段)は3年近くかかり、トライする時は同じ岩にあるスグルクン(三段)でいつもアップしていた。ド自慢だがアンダー引きの一手が核心のスグルクンの初手は、片手スタートで成功させている。だけど親指君は日数で見ても10日以上かかっている。

今まで自分のセットした課題をトライしてくれた人たちなら緩傾斜&凹角課題と真っ向系課題のグレーディングのバラつきも知っていただいていることかと思う。

サンプルに異常な値が混ざっていたら真値からズレてしまう。正確に統計を取るために時には特異値は除外しなくてはならない。

つまり自分の体感グレードが有効な値である自信がないので、グレードについてはあまり言及しないようにしている。

ちなみに得意系の課題にコメントすると辛過ぎると言われることがあるが、逆に苦手系を登った場合には甘くなり過ぎている。が、しかしオドロシの法則によりそもそも登ることが出来ない苦手系に関してはグレードに言及させてもらう機会が少ない。

この法則のせいでステータスの偏ったクライマーほどグレーディングが辛くなりがちという事態まで生まれている気がする。

とまぁ、ここまで色々と個人的見解を述べてきましたが、念押しすると「グレードはこうあるべき」という話ではなく、あくまで自分はこう捉えているという話です。鴛鴦が三段だと言うのなら三段でいいんです。

そしてもちろんグレードに関してコメントすることはやぶさかではないので、体感グレードを聞かれたら素直にお答えします。

親指君は四段です。

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