【Juncyclopedia】 クライミングについてそこまで考えたいわけではないJの思想

Juncyclopedia

今年1月に書いた「グレードというものについて」のように、本ブログでもごくごく稀にクライミングに関する個人的な考えをまとめた記事を書いたりしましたが、スペインにいる今、折角なので常々考えていたことをシリーズ化(?)して更新していくことにしました

その名も題して「Juncyclopedia (ジュンサイクロペディア)」

そして副題は「クライミングについてそこまで考えたいわけではないJの思想」ということで、お察しの通り愛読ブログ「Mickipedia ~クライミングをもっと考えたい全ての人へ~」の完全オマージュです。無断オマージュなので、本人ないしは誰かしらから注意が入り次第即変更または削除になります。

色んな意味でリスクの高い記事なので、ふと恥ずかしくなった瞬間に削除もありえます。帰国直前に全消しもありえます。第2弾が出ることなく終わる可能性も高めです。評判次第。

そしてクライミング以外のことも綴っていきます。寧ろそっちの方が多いかもしれない。常日頃考えていたことをブロガーっぽく綴っていきます。

また本記事は全て前置きであり、第一弾は別途同時投稿です。

第一弾はこちら↓

【Juncyclopedia】クライミングのスタイルについて思うこと
最も意識の低い記事を目指す不定期連載「Juncyclopedia(ジュンサイクロペディア)」第一弾はクライミング界における意識高い系話題No.1「スタイル」について、長い間感じていたことを綴っていきたい先に意識の低...

 

はじめに

J + uncyclopedia(アンサイクロペディア) でJuncyclopediaです。

アンサイクロペディア - Wikipedia

アンサイクロペディアを知らない人にざっくり説明すると、ふざけた内容の百科事典です。

ウィキペディアのパロディサイトのことです

例えば一人ディズニーランドとか

辞典にギリギリ載らない単語を面白おかしく解説したりしています。(一人ディズニーランドはエクストリームスポーツとして紹介されている)

というわけでJuncyclopediaも同じように、基本的には客観的事実汎用性のある情報期待出来ない記事です。主観的かつ、ためにもならないような内容を綴ります。まさに前回の「グレードというものについて」のように、至極個人的な考えをまとめたものです。

そして記事の途中で何度も唱えますが、決して特定の個人を否定するつもりはありません

あくまで個人的にはこのように考えているという話です。

例えば1発目の記事ではクライミング界で往々にして話題にあがるクライミングのスタイルについて個人の考えを述べていますが、正直に自分はノーマットスタイルにはあまり惹かれない、ということを書いてます。

このように書くとケイタさんやアンマ君のこれまでの主張に噛み付くように捉えられるかもしれませんが、そんなつもりはなく、個人的には好きな音楽のジャンルが違うくらいの気持ちで書いています。

親友と好きなアーティストが違ったところで親友のことを否定したりはしないと思います。ですが例えば親友がそのアーティストの音楽を「至高の音楽」「これこそが本物」と表現したとき、「では自分の聞いている音楽は何なのか?」というモヤつきが生まれることもあるかと思います。今まで溜まっていたモヤつきを書き連ねる場がJuncyclopediaです。

 

とはいえ、Jの言葉足らずな文章により読み手が「これは個人を否定している」と捉えたり、不快に感じる可能性もあるかもしれません。それに対して弁解するつもりはないです。

「そんなつもりはない」がまかり通ってしまえば世のイジメ・パワハラだってまかり通ってしまうような気もしていますので、読んだ人がそう捉えてしまった以上、いくらかの責任は書き手にもあると考えています。それを「悪気はないから許して欲しい」で済ますつもりもありません。その際には素直に謝罪致します。謝罪しますが、かといって自分の正直な意見を捻じ曲げるかといえば、それはまたその都度頂いた意見次第になります。

要約すると

「少しでも読み手の不快感が減るように悪意がないことを明言しますが、それでも不快に感じた場合には予め謝罪させていただく」

ということです。

そして後述するように「回りくどく」「後ろ向き」な主張が多い記事なので、そういった記事が不快な方は本シリーズを無視していただければ幸いです。

 

ジュンサイクロペディアの趣旨 ~世界一意識の低い記事を書く~

ジュンサイクロペディアで考えていた副題のもう一つが「世界一意識の低い記事」です。

そもそも世界一意識が低ければ記事も書かないかと思いますが、それはさておき、”意識が高い”というのはそもそもどういうことか。

その定義が何なのか自分でもわからないときがありますが、例えば仕事や食事で考えると、「やらなきゃいけないからやってる」「食べたいものを食べる」ではなく、「何のためにやるか」とか「より自分を高めるには」「地球や人類全体にとって良いものとは」といったようにその”行為”が持つ意味や意義を意識して、それを膨らますことだと思っています。

自分はどちらかといえばそういった「より良いもの」を求める風潮とは離れた考えを持っています。もちろん敢えて逆を行こうとまでは思ったりはしませんが、自分は「より高みを目指す」「より質を高める」といった空気は少し苦手で、そんな雰囲気を感じてしまうと窮屈に感じてしまうことの方が多いです。

クライミングで言えばまさに「クライミングはグレードじゃない」とか「スタイルを意識することでよりクライミングが充実する」といった考えは意識が高いなと感じます。そうした主張や議論がされること自体は”良いこと”だとも思っています。意識を高めることはいわゆるクライミングの”質”を向上させ、クライミングに対する個人の満足度を高めてくれることと思います。

しかしそうした物事の質に関する議論が広まると、その意向にそぐわない人に対してはプレッシャーや息苦しさを与え、時には自尊心を傷つけて不快な気分にさせるケースもあるように感じています。

ジュンサイクロペディアは過去にそうした主張にさらされ、人知れず勝手に傷ついてきたJの自尊心から発せられる悲鳴のような愚痴のような憤りのような何かを綴った記事です。

 

ブログ「いちゃりばちょーでー」の成り立ちは特に何の意味もない

ほぼほぼ余談ですが、一応このブログがそもそも何なのか振り返っておきたいと思います。

11年前に始めたこのブログは今で言えばただのSNSの一部であり、周囲のクライマーがやっていたから自分も始めた、ということに他ならないブログです。

寧ろ自分は文章に自信もないので、同期のSEなんかに比べてもブログを始めたのはかなり遅めでした。大学3年生になってから。

そして、ただの日記として書いていて、身内ネタも使っていたブログなので「何のために」「誰かのために」という意図は何一つなく、意識の高い低いもないブログでした。

今ではサポートも頂いているので、シューズレビューなど日記以外の役割としても活用しています。

それでも自分は一中小企業で働く半フリータークライマーで、プロではありません。

ましてや、かのトール・ナカジマが彼自身を「ただの大学院生」と言い放ってからは、クライマーと名乗るのも憚れるほどの身分です。ただの片手懸垂師です。

というわけで、クライミング界の話題に対して言及していきますが、あくまでクライミング好きの一懸垂師が感じた私見を綴っていきます。

 

何故ブログなのか

今ではツィッター、インスタグラム、FBで意見を述べる人もいると思いますが、自分はブログに書き起こしていきたいと思っています。

ブログは比較的ではあるが「閉じている」媒体です。公に公開している以上は完全ではないですが、個人を否定しているかのように捉えられてしまう長文を公開する際に、タイムラインに貼り付けるよりかは「興味のある人だけ」が開いて読んでもらえる媒体の方が、余計に人を不快にさせずに済むと思いますので、ブログにしていきます。

また、タグなどでシリーズとしてまとめられますし、今後振り返ることも出来るので、こちらの方が長文をまとめるには便利というのもあります。

というわけで、グタグタと回りくどく、後ろ向きな意見を目にしたくない方は、出来れば本シリーズは無視していただければと思います。

 

余談① 山奥ニートと寝そべり族

折角なので、ここでも余談を。

最近読んだり聞いたりしていて”良いなぁ”と感じたのが2つあります。

一つが「山奥ニート」

流行りのYouTube大学を見て知ったのですが、和歌山の限界集落で最低限の仕事量で生活をしている人たちの話

そして2つ目が、中国で流行っているらしい「寝そべり族」

このURLの記事はみつかりませんでした - エキサイトニュース

「“寝そべり”はまさに賢者の運動。“寝そべり”だけが万物の尺度だ」

と主張しているらしい。かっこいい。

もちろん彼らには信念があるわけですから、彼らのことを「意識が低い」と表現することは無礼なことです。

彼らは彼らなりの「意識が高い」生き方をしていると思います。これはもう定義が何なのかによりますが、ひとまず自分が感じてきた世間一般の意識の高さとは逆の風潮に思えます。このあたりは雰囲気で。

「山奥ニート」や「寝そべり族」のように、大衆からは意識が低いと思われようとも、彼らなりの生き方を全うしている人に、惹かれます。

そう、俺は寝そべり族のように生きたい。彼らの主張を支持する。懸垂こそが賢者の運動であり、懸垂だけが万物の尺度だ!

 

というわけで、世間一般の感覚からすると「意識が低い」であろう見解をホソボソと綴っていきたいと思います。

コメント

  1. […] […]

  2. […] […]

タイトルとURLをコピーしました