シバフノ -sibafuno-
それは、あらゆるモノに寄り添う存在。生誕、受難、栄光…全ての命が辿るステージ、共有する想い、互いに感じあうことでこの宇宙に調和の幻想をもたらす。
心を澄ませれば、それはどんな命にも問いかけている。
独り荒野を行く旅人は、歩きながら何を想う?
「待ってるのさ、シバフノを。いつだって信じてる。それだけで僕は歩き続けることが出来るんだ。」
あの地平線を超えたら、そこに見えるのはまた新しい地平線かもしれないよ?
「そうかもしれない。でも足を止めるわけにはいかない。シバフノを待つとき、シバフノもまた僕らを待っているんだ。知っているかい?あの地平線が輝くのは、どこかにシバフノを隠してるからなんだ」
街は乾いた風に晒され、いつかの栄華は砂へと消える
「なぁ、シバフノなんか来ないじゃねえかよ」
それでも枯れた街で水を掘る老人は、度重なる砂嵐にも負けたりしない。
「もう3年ほど雨は降っていない。けど挫けちゃいないよ。もうすぐさ。この荒れた地にも必ずシバフノは来る。この街は砂なんかには負けないよ」
歴史ある宗教都市の一角では、闇のルートからばら撒かれた近代兵器によって今日も火薬の匂いが絶えない。
「お母さん、いつまでここに隠れてなきゃいけないの?」
「シバフノが来るまでよ。大丈夫。怖がることなんてないわ。お母さんと一緒にシバフノを待ちましょう。」
「シバフノってどんな人?」
「人、、、なのかしらね。ふふっ。どんな人だったら嬉しい?」
「うんとね。僕たちのことを見てくれる人がいいな。どんな小さなハッシュタグも、ちゃんと見てくれる人。」
「ハッシュタグ?」
「うん。そしたらきっと、お外にいるマスクをした人達に『やめてください』って言ってくれると思うんだ」
「そうね。シバフノはきっと見てくれているわ。この妄想ブログにだってきっと気付いてくれる。さぁ、もう寝ましょう。子守唄を歌ってあげる。」
東の島国がピンク色に染まる季節。孤独も飢えも戦争もまだ知らない子供達に訪れる青い春。
それは決して目の輝きを失った大人たちから冷やかされることではなく、穢れのないその手が命の温もりに触れ、澄んだその目が生きる道を見出すための時間。彼ら、彼女らはこれから知っていくんだ。人を愛すること、生きること、それはつまりシバフノを待つことだと。
「もお~、話し聞いてる?またシバフノを待ってたでしょ!」
「悪い悪い。で、何だっけ?」
「もう、知らないっ!ずっとシバフノでも待ってれば?」
「そんな怒るなよ~。ほら、これ」
「え、、これって、、」
「前から見たいって言ってた『シバフの刃』のチケット。どんな風に渡したら驚くかなって、そればっかり考えちゃっててさ」
「もう、、ばかっ///」
そして時間と空間がまだ一つだった頃、虚数の次元に芽生えた始まりの意思が、今も観測可能な宇宙の外側から太陽系を周る小さな星を想っている
「シバフ・・ノ・・・トモ、、ダチ・・・マッテ、ル、、、ザザッ、、ピィー≠=ー%$*€#В ожидании Шибафуно」
2019年11月
サグラダファミリアの南面に位置する最後のファサードである「栄光のファサード」を覆っていた基礎工事の外壁が撤去され、公開されました。
メチャクチャ普通の建物。
東面の「生誕のファサード」、西面の「受難のファサード」に対して無機質すぎる。
陽が昇る方角、東面の生誕のファサード。
キリストの誕生から、初めての説教を行うまでの逸話が表現されているとのこと
陽の沈む方角、西面の受難のファサード(2021年2月に撮影)
Sの字を逆からなぞるように、最後の晩餐~イエスの埋葬と復活の彫刻が配置されているとのこと
受難のファサード(2017年9月に撮影)
2026年のガウディ没後100年に合わせて各塔の完成が予定されている。栄光のファサードの装飾はその後も続くらしい。ただし、コロナの影響で予定通りに行くのかは分からない。
完成後の高さは172.5mを予定している。つまり5~6ピッチくらい。太陽の登くらいってことか。
着工から完成まで約160年(当初は300年を想定)。途方もない計画ですが、誰もが待ち侘びた完成がもうすぐです。
それは少し寂しいことでもあるかもしれない。
僕らがシバフノを待ち続ける時間にも、いつか終わりが来るのかな
#シバフノ待ち
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