久しぶりのブログの更新。
2ヶ月間のカナダ・ブラジルツアーを終え、無事帰国し、のんびりしている。
ツアーのことも書きたいことだらけだが、どんな言葉にすればいいのかも分からず、そもそも話題に触れるかどうかも迷いつつ、今の今まで引き伸ばしにしてしまったこともある。倉上慶太さんの訃報のこと。
ちょうどカナダにいたので、ニュースが出回った時は深夜だったらしく、朝起きて友人からのラインで知った。
あまりにも急で、朝から情緒がおかしくなった。
慶太さんと初めて会ったのは京大ウォールだった。
突如としてウォールに現れた慶太さんは、そのクライミングの強さにも驚いたが、とにかく攻める姿勢に衝撃を受けた。
最初に一緒に外岩に行ったのは三重の魚飛渓谷で、紹介してもらったプロジェクトを一緒にトライした時だ。
自分が最初にトライして、リスキーな下地に未知のホールド・ムーヴのために様子見をと思って一度降りたあと、すぐ慶太さんが一撃初登した
そのルートは「紫峰(しほう)」と名付けられた。元々自分が考えていた課題名だったが、慶太さんがそのまま採用してくれた。
それからも京大ウォールでセッションをしていたが、彼は週末は単独でフクベの破門をトライしていたり、最終的には笠置のリバースを初登したり、兎にも角にも攻めたクライミングをしていて、そして大きな足跡を関西に残してから東京に戻って行った
そのクライミングスタイルもかっこよかったが、京大ウォールでの何気ない会話が楽しかったのを覚えている
特に覚えているのは「ジョジョはオレのバイブル」と言っていたこと
中でも、第5部の「覚悟」の話をしていたのが印象的だった
そんな慶太さんがフルタイムクライマーになってから、彼の思う「覚悟」と言うものがなんなのか、そのクライミングを通じて僅かながらでも伝わってきた気がする
まるで物語の中に登場するようなクライマーであり、それでいて一緒に登っているときには気さくなお兄さんのような存在であり
そして自分がスカルパクライマーになってからも、幾度もお世話になる機会があった
自分は慶太さんとは全く違う道でクライミングを続けていく選択をし、その挑戦している内容も、そのスタイルも全く異なり、慶太さんのあらゆる「覚悟」の前にはいつも劣等感を感じるほどに怯えながら歩んでいるが、1人でノーズを登り切った慶太さんのクライミングはいつも自分に勇気をくれた
気さくな冗談を言いながらハードなプロジェクトをウォールに作り、一緒にセッションしていた時間は、自分のクライマー人生における一つの宝石のような時間だった
本当に、かっこいい人でした
「ぼくは敬意を表するッ!」
改めて、そう言いたい
感動と勇気と情熱を、ありがとうございました
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