少し公開が遅くなりましたが、旅のフォトガイドブックが出ました。
フォトガイドブック「ぼくだけの旅のカタチ」
こちらのフォトガイドブックの中に、自分の旅の記録も1ページだけ掲載させていただいております。
自分が選んだ旅の1ページはマダガスカルにある「バオバブの並木道」です。
クラウドファンディングをきっかけに作成がスタートしたフォトガイドブックですが、自分の掲載記事に関しては使用フリーとのことなので、作成いただいたページを本ブログにて無料公開致します。
こんな感じに仕上げてくださりました。
そして
依頼いただいた内容は「旅の想い出を250字以内でまとめる」とのことでしたが、いざ振り返ると沢山の想い出が溢れてきて、とても250字では収め切れませんでした。
そこで本ブログにて全編(?)公開致します。
少し恥ずかしいですが、自分の人生にとってもかけがえのない時間でしたので、こうして文章に書き起こすきっかけが得られて喜ばしい限りです。
フォトガイドブックの売り上げは日本ユニセフへの寄付に当てられるようですので、もし興味が湧きましたら是非とも購入いただければと思います。(上記のリンクから購入出来ます)
また、暫くしたらAmazonでも販売される予定のようです。自分は出国前にAmazonで購入したかったのですが残念ながら間に合わず、スペインから帰国したら購入しようと考えております。
コロナ禍で旅することも難しくなったご時世ですが、この本を通じて沢山の旅人の想い出に触れ、少しでも外の世界を感じ、楽しんで頂ければ幸いです。
そしてこの新型ウィルスの脅威にも打ち勝ち、また自由に世界を周れる日が来ることを願います。
マダガスカルの想い出 〜バオバブの並木道〜
旅のベストショットを一つに絞るのは中々難しい。思い入れのある写真はいくつもあって、どの写真をとっても簡単には語り尽くせない思い出が溢れてくる。「夢を叶えた」と感じる瞬間だって1つじゃない。今回のフォトガイドブック作成の話を受けて、敢えて1つ選ぶならどんな瞬間がいいだろうか。少し悩んで、出した答えがある。
「まるで旅人になったみたいだ」
そう感じた瞬間を選ぶことにした。
それは幼い頃から憧れていた、人生で一番の夕陽を見た瞬間だった。
自分の世界一周のきっかけは自慢できるものでもない。「世界を見てやろう!」とか「今までの自分を変える!」といった大きな野心もなければ「この感動を誰かに伝えたい」なんていう使命感もない。
自分は旅に出る直前まで都内でサラリーマンをしていた。希望していた大学に進学し、大学院にも進み、第一志望の企業からも内定を頂けて、それなりの使命感を持ちながら働いていた。
はたから見れば順風満帆な人生だったと思う。自分も恵まれている方だとは自覚していた。それでも現実は甘くなく、例に漏れず社会の洗礼を浴びることになった。社会人3年目にして家は寝るだけの場所となり、朝から満員電車に押し込められながら会社に向かっては、夜は終電にすら乗れず、終わりの見えないタスクとどこで折り合いをつけるかばかりを考える日々だった。
完成度の低い資料を持って会議に挑む朝は、重圧と寝不足で気分が悪くなった。仲の良い友人と酒を飲めば、仕事の愚痴ばかりついて出るようになっていた。酔いが覚めれば、自分の無能ぶりと情けなさが嫌になった。
この頃は過労死のニュースがやたらと目につくようになり、どれも他人事とは思えなかった。「死ぬくらいなら辞めればいい」なんて言葉をよく聞くが、「死ぬくらいなら」という枕詞はもう詭弁にしか聞こえなかった。上司に「辞める」と口に出すことを想像しただけで気が重くなったし、「辞めたあとどうするのか」という不安も付き纏っていた。とにかく今の状況を抜け出す最も簡単な方法が「死ぬこと」なら、それを選択することは何もおかしなことではなかった。
自分が会社を辞めることが出来たのは運の良いことだった。クライミングがその窮地から引き摺り出してくれた。
折角辞めたのだから、あのままでは絶対出来なかったことをしよう。そう思い立って、世界旅行に出ることにした。
特にテーマもない旅だったが、強いてあげるならば1つだけテーマのようなものがあった。それは「絶対に頑張らない」ということだった。新入社員の頃から「ビジョン」「目的」「本質」、そんな言葉に縛られ続け、俗に言う意識の高い生き方を強いられたような生活をしていた。そんな生き方はうんざりだった。
脱サラしたあとの人生は大袈裟に言えば拾った命のようなもので、おまけみたいなものだった。だから、大層な目的も掲げず、思うままに旅をしようと決めていた。
マダガスカルは3番目の国だった。この国のビザを取得するにはマダガスカルから出国するための航空券を事前に抑えなくてはならない。滞在期間を12日間と決め、ケープタウンからアンタナナリボへと飛び立った。このとき12日間の予定は殆ど空白だった。バックパック一つで首都アンタナナリボに降り立ち、一先ず予約しておいたホステルへ向かう。明日以降の予定もまだ決まっていない。
ただ一つ、この国で必ず行くと決めていた場所があった。幼い頃にテレビで観てからいつかは行きたいとずっと思っていた場所。それがバオバブの並木道だった。
前の国まで行動を共にしていた友人と離れ、ここからは見知らぬ土地を1人で歩くことになる。さらにマダガスカルはフランス領であり、フランス語が公用語となっている。慣れない1人旅、言葉もロクに通じなかったけれど不安はなかった。予定も決めず、気の向くまま行き先を決める旅が楽しくて仕方なかった。この「行き当たりばったり」という旅行の仕方をしてるだけでも「旅人のようだ」と思ったりもした。
ホステルで一息ついたあとは、後ろのドアが開いたまま走る市バスに乗り込み、タクシーブルースの発着所まで向かう。
タクシーブルースとは大型のバンを無理やりバスのようにした乗り物で、マダガスカルの大都市間を移動する上で現地の人たちの主たる交通手段となっている。
掘立て小屋の並ぶチケット売り場で、モロンダヴァ行きのチケットを買う。鮨詰め状態のタクシーブルースに日本人は自分1人だった。最前列の席、乗り心地は決して良くないけれどあまり気にならなかった。
モロンダヴァまでの乗車時間は18時間に及ぶ。車内に流れるマダガスカル音楽を聴きながら、移り変わる景色を眺めていた。時には自分のiPhoneを取り出して、旅に見合った曲ばかりを集めたプレイリストを聴いたりした。お気に入りはブルーハーツの「旅人」だ。
タクシーブルースがモロンダヴァの街の近くまで来た時、バオバブの木が何本か見えた。気持ちはどんどん昂っていった。昼頃に発着所に到着した。タクシーブルースから降りた時、海沿いの街特有の暑い空気が身を包んだ。僅かに潮の香りがする。先日までいたアンタナナリボは標高1200mの高地に作られた都市であり、まるで違う空気が漂っている。
荷物を受け取ったあとは三輪車を引く青年に地図を見せて、予約したホテルまで向かう。バオバブの並木道までどうしたら行けるのかもまだ分からない。部屋に荷物を置いてから通りに出ると、今度は陽気な兄ちゃんが声をかけてきた。バオバブの並木道まで連れていってくれるとのことだ。提示された金額が妥当なのかどうかも分からなかったが、怖気付くような金額でもなかったので快諾した。
陽気な兄ちゃんはすぐさまスクータータクシーを捕まえ、並木道まで案内してくれた。
並木道の前の広場に着くと、早速バオバブが見えた。起伏のない景色の中に、巨大な幹をしたバオバブがいくつも立ち並ぶ。広場では子供たちがカメレオンを捕まえて遊んでいる。夕暮れ時まで並木道を歩いた。いろんな表情をしたバオバブが次から次へと現れる。不思議な光景だった。
少しずつ陽が傾いてきた。広場に戻り、西の空を眺める。
そして、人生で1番綺麗な夕陽を観た。
今はとても便利な時代だ。途上国といってもSIMカードは道端の商店で簡単に手に入り、4G回線ですぐにネットにアクセス出来る。ブログを読めば先人達の旅の記録を知ることができ、その情報をなぞれば大した準備をしていなくても目的地に辿り着けてしまう。こんな説明書の通りに足を動かしたような旅をして、旅人と名乗るのは烏滸がましいかもしれない。
それでも、ずっと心の中にあった憧憬の中に立ち、バオバブの間に沈んでいく神秘的な夕陽を眺めていた時には色んな感情が溢れてきた。
「なんだか現実じゃないみたいだな」と感慨に耽ったりもした。夕暮れ時の少し湿った風が肌をくすぐると、確かに自分がここにいることが分かる。「凄い場所まで来ちゃったな」と思う。
太陽が隠れる直前には広場の誰もが同じ方向を向いていた。陽が沈み行く様子を静かに見守っている。オレンジ色に輝く空からは、バオバブの奇妙な輪郭だけが切り抜かれていた。
インド洋に沈んでいく夕陽を見送ったあとは、スクーターの後ろに座って再びダート道を走り抜けていく。国道なのに舗装もされていないこの道はとてもよく揺れた。傾いたこの世界から転げ落ちそうな気がした。
「まるで、旅人になったみたいだな」
そんなことを思いながら、流れ行く景色を見送った。
仕事を辞めた後悔なんてものはもうどこにもなかった。もしかしたら、10年後くらいに悔やみ出す時が来るのかもしれない。でもこの写真を見れば、そんな後悔も簡単に吹き飛ばせる気がした。
旅の記録(過去ブログ)
↑過去ブログ。写真沢山あります。バオバブの写真が沢山あるのは②です。
改めて読み直したら、モロンダヴァに到着したのは昼過ぎじゃなくて昼前だった。モロンダヴァに到着してから急いだ記憶があったので、なんか勘違いしていたみたい。すいません。
世界一周のブログ途中で途絶えちゃったけど、とりあえず下書きのままにしてる記事がいくつかあるので、今更ながら近々アップします。
仕事を辞めるきっかけになった記事
そして最後に、会社を辞める転機ともなった記事を載せます。いきなりだけど、ちょっと重い話。
自分が会社を辞めたのは2017年の4月ですが、この記事を読んだのはその直前の特に過酷だった時期。いつものように深夜まで残業しており、一息つくためにオフィスの休憩所に行ってスマホを開いたときのことでした。
とても他人事には思えず、この手紙を読んで「辞めなくては」と思った記憶があります。
御本人の無念とお母様の悲しみは計り知れないことではあり、それは取り返しのつかないことでもあります。せめて今後同じような出来事が起こらないことを祈るとともに、御本人のご冥福をお祈りします。
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